この庚申堂は昔庚申塚と呼ばれ、さらに古くは右大将頼朝卿が、戦死諸兵供養のために写経を埋められたので、その当時は納経塚といわれていた。
後柏原帝の文亀元年(480年前)梅巌というお坊さんが、この塚の傍を通られると、土中より読経の声を聞かれて、仏体を掘出された、当時内乱で行方知れずであった、
来福寺(東大井3丁目)の本尊延命地蔵尊であることがわかり、寺に迎えて再び安置された。そのためにこのご本尊は別名経読地蔵尊といわれるようになった。
戦後、地元の方々が堂を建立された。
現在も来福寺所管の境外仏堂で縁日は、毎月1・10・20日・・・
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