立会川駅から歩いてすぐの涙橋(浜川橋)から立会川の河口あたりにかけて、土佐藩の鮫洲抱屋敷があった。川の流れの先は、現在は勝島運河となっているが、かつては世界につながる海だった。この屋敷内には、浜川砲台が築かれたが、ペリーが2度目に来航した際には、あの坂本龍馬も砲台要員として配置されていた。当時、龍馬は20歳。修行のために江戸へ出ていた。千葉道場で剣術を学んでいたが、ペリー来航で佐久間象山の門下生となり、西洋砲術を学ぶことになる。ここが原点となり、龍馬は世界を見据えた独自の思想で、周知のような活躍をみせた。龍馬にとって浜川砲台は、人生のターニングポイントとなる大切な場所である。
【龍馬のまちへようこそ!しながわ花海道と歴史マップより引用】
このような事柄が縁になり、坂本龍馬像が2004年11月13日に高知市から寄贈された。2009年1月
しながわ花海道(勝島運河)、現在は仲町稲荷神社境内に建っている。
注:浜川砲台はペリー来航の嘉永6年(1853)の翌年2300坪の広さで建造された。
しながわ百景No.108
平成29年「しながわ百景」に加わりました。
Copyright © 2017 Haguregumo.