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□ 資源No : 77 □ 分 類 : 観る(見処・風景) □ 地 域 : 大崎地区 □ 最寄駅 : 五反田駅 □ 住 所 : 東五反田3-16-21 □ 電 話 : 03-3447-5551 □ 備 考 : しながわ百景No.042 |
■ 観光資源のプロフィール
島津山 (清泉女子大学)
しまづやま
東五反田3-16-21
清泉女子大学の校内は、江戸時代には仙台藩伊達家の下屋敷だったが、明治になって旧薩摩藩主の島津侯爵家の屋敷になったため、島津山の名で呼ばれるようになった。
島津侯爵邸時代には、鹿児島出身の軍人や政財界人が集まり、華やかなパーティが開かれたり、明治・大正の両天皇が訪れたりもした。その後、昭和初期の金融恐慌の時期に、広大な敷地のうち約三分の二が売却され、さらに戦後。残りの邸宅部分も日本銀行の手に渡った。昭和37年(1962)に清泉女子大学がこの地に移転し、現在に至っている。
<品川区指定文化財・天然記念物第6号>
○清泉女子大学のフウ
推定樹齢150年、樹高18m、幹の周囲約3m。フウ(楓)は、マンサク科の落葉樹で、台湾産。非常に貴重なもので都内では、ほかに皇居や明治神宮などにある。
○清泉女子大学本館(旧島津公爵邸)
大正6年(1917)に建築された洋館で、ステンドグラスやマントルピースなど、当時の内装を今もそのまま残す。明治時代初期の日本に洋風建築を伝え、東京帝室博物館(1882)、鹿鳴館(1883)、旧ニコライ堂(1891)などを手掛けたイギリスの建築家、J.コンドル(1852〜1920)の設計である。
・ジョサイア・コンドル
明治のはじめ、政府の招きで英国から来日した。
明治天皇の崩御もありイタリアンルネッサンス風の旧島津侯爵邸洋館が完成したのは大正4年(1915年)。第二次大戦後清泉女子大学本館となった。 日本人の妻と結婚し、日本文化の研究に情熱を傾けた。文京区護国寺に眠っている。
この地は、寛保3年(1743年)仙台伊達藩の下屋敷(敷地面積22,670坪)として開発され、明治6年(1873年)に島津家の所有に移るまで約130年使われた。島津家では、この地が「袖ヶ崎」と呼ばれていたところから、「袖ヶ崎することを邸」として、桜田にあった旧島津藩上屋敷とは別に、公式行事の開催場所に使用し、大正12年(1923年)の関東大震災後に本邸とした。 袖ヶ崎邸は、当初伊達藩の木造家屋をそのまま使用していたが、老朽化が進んだため、英国風の洋館を改築することを計画し、日本政府の招きにより来日し工学大学校建築学科の教授であった英国人J.コンドルに、明治39年(1906年)に設計を委属し、その後数度の設計変更を経て、大正4年(1915年)に建物の竣工をみ、その後館内の設備や調度が整えられ、大正6年(1917年)に落成披露が行われた。
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