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□ 資源No : 73 □ 分 類 : 観る(歴史・史跡) □ 地 域 : 大崎地区 □ 最寄駅 : 五反田駅 □ 住 所 : 東五反田1-2-29 |
■ 観光資源のプロフィール
宝塔寺 天台宗 (山号)白雉山慈光院
もとは法東寺と称し、室町時代の応永8年(1401)に創建されたと伝えられる。初めは品川の海岸近くにあり、のち目黒川沿いに移転して宝塔寺と名を変え、さらに江戸時代初期の万治年間(1658〜61)に、目黒川の水害を避けて現在地に移転した。
ここに今も祀られている元三大師(良源、慈恵大師)を参拝してから網を下ろすと大漁になるといわれ、当時の漁民から厚い信仰を受けていた。
小高い岡野斜面お墓地上方には、江戸時代にこの地の開拓を手がけた下大崎村の名主だった島田若狭の墓がある。
<品川区指定文化財>
○宝塔寺板木(はんぎ)(有形民俗第14号)
板木は、お札などを印刷するための木版である。宝塔寺には、全部で26枚の板木が残されている。なかには、1番から100番までそろったお御くじ版木や、富くじ興業のことを書いたものもある。
○木造聖観世音菩薩立像(彫刻第3号)指定年月日:S56.2.12
左手で蓮華の入った華瓶を持って立つ姿の高さ84・1pの像。本像は、一本の素材を竪に割って荒彫りし、像の内部を削り取ってから矧ぎ合わせる割矧ぎの造法で作られている。平安時代(794〜1191)末期頃の作といわれる。
大正15年(1926)に、多摩川沿いの寺から流出し、諸人の手を経てこの寺に施入されたという。
○石造庚申供養塔(有形民俗第7号)
もとは隣接の雉子神社にあったものだが、明治以降ここに移された。寛文8年(1668)造立の板碑型のものと、同12年(1672)造立の笠塔婆型の2基で、旧大崎村の人々によって建てられたもの。正面に「南無青面金剛守護所」の銘文、下方に三猿と施主の名が刻まれている。
○法塔寺所蔵絵画(絵画第3・4号)
室町時代の模写と推定される「紙本着色元三大師像(しほんちゃくしょくがんさんだいしぞう)」(第3号:S56.2.12指定)は、宝塔寺がまだ品川の海岸にあったころ、名も判らない旅の僧が寄進したとの言い伝えがある。ほかに、室町時代の作と思われる「紙本着色不動明王両童子像」(第4号:S56.2.12指定)などがある。
○元三大師堂
元三大師というのは天台宗第18代座主の慈恵大師・良源(912〜85)のことで、正月の3日に亡くなったために元三大師とも呼ばれる。平安時代以降、信仰の対象となり、画像・木像などが盛んに作られた。当寺の元三大師もそのひとつで、この元三大師堂に祀られている。ここにお参りしてから網を下ろすと大漁になるといわれ、漁民の信仰を集めた。
○墓地に眠る人
★島田若狭(生没年?)江戸時代、この付近の開拓を手掛けた人。小高い丘の斜面の墓地上方に、「島田家墓」がある。若狭とその子孫は、下大崎村の名主をつとめた。
■しながわ昔話 「宝塔寺と元三大師の肖像画」
その昔、法東寺というお寺が南品川にありました。その後、宝塔寺と名を変え、今では東五反田一丁目に移っています。お寺の石段を登って山門をくぐると、境内の左手には古いお堂があります。ここにまつられている元三大師肖像画には、こんなお話が残されています。
ある日、お坊さんがお経をあげていると、年老いた僧が訪れて、一本のかけじくをそっと置いていきました。おつとめを終えたお坊さんが開いてみると、元三大師の肖像画でした。お坊さんは大層喜んで、そのかけじくをかけて、毎日お経をあげおつとめにはげみました。すると近くに住む漁師や信者がたくさんお参りに訪れるようになりました。
かけじくによってお寺の名が知れ渡るようになると、上野の寛永寺から「珍しい肖像画のようなので、ぜひ、持ってきて見せていただきたい」という申し入れがありました。お坊さんはほかのかけじくにまぎれてしまわないよう、うらに小さなめじるしをつけておきました。
何日かたって、寛永寺から「かけじくを返します」というしらせがとどきました。使いの小坊主が寛永寺にいくと、そこには同じようなものが何本も並んでいました。「こまった。どれがうちのかけじくだろう?」小坊主は迷いましたがはっと思いつき「茶わんをかしてください」とたのみました。肖像画の前にお茶をささげると、大師の顔がほほえむことを思い出したのです。お茶をそなえながら歩いてみると、あるかけじくの大師がにっこりほほえんだようなので、小坊主はそのかけじくを受け取り、お寺に帰りました。
お坊さんが戻ってきたかけじくをうら返してみると、ちゃんとめじるしがありました。まちがいなくお寺のものだったのです。このことがあった後、お寺はますます栄えたということです。
(元三大師とは、天台宗の僧「慈恵大師・良源」のことです。1月3日に亡くなったことから、元三大師とも呼ばれています。
広報しながわ 平成19年(2007)11月1日号掲載
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