雪中庵蓼太句碑(せっちゅうあんりょうたのくひ


□ 資源No : 46
□ 分  類 : 観る(歴史・史跡)
□ 地  域 : 大井地区
□ 最寄駅 : 立会川駅
□ 住  所 : 東大井3-13-1
□ 備  考 : (来福寺内)

■ 観光資源のプロフィール

蓼太は江戸時代中期の俳人で、信州伊那の生まれ。
元禄7年(1694)芭蕉が亡くなると、弟子たちは様々な流派に分裂し、次第に退廃していったが、芭蕉50回忌をすぎた天明期(1781〜89)に、俳諧を再び芭蕉の昔にかえそうという働きが盛んになる。この蕉風復活の「天明俳壇」の中心的役割を果たした俳人のひとりが大島蓼太で、3000人余りの門人を擁し、200冊以上の句集を編むなど全国的に名声を博した。
この碑は、天明7年(1787)の蓼太の死後間もなく、弟子たちが建てたものである。
(「世の中ハ 三日見ぬ間に 桜かな」)

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