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瀧泉寺(りゅうせんじ)(目黒不動)

・資源No:882
・分類:その他(その他)
・地域:その他地区
・住所:区外
・最寄駅:不動前駅
・備考:目黒区下目黒3-20-26

 ■資源プロフィール

天台宗
(山号)泰叡山

目黒不動。寺伝によれば、創建は平安時代初期の大同3年(808)で、開山は慈覚大師(円仁)。
本尊不動明王像は、慈覚大師自身の作と伝えられる。
 一切の煩悩と罪障を焼き尽くすという不動信仰は、平安時代初期から庶民の間に広まった。目黒不動は関東でも最古の不動霊場である。
 火災のため一時は荒廃したが、江戸時代初期の寛永7年(1630)に上野寛永寺の末寺となってから、将軍家の保護を受けて隆盛となる。
江戸庶民の不動信仰が厚いこともあって、江戸近郊の有名な参詣行楽地となり、明治・大正になっても大いに賑わった。
 境内は、台地の突端に位置し、清水が湧き、老木が生い茂る。
建物の多くは戦災で焼け、本堂は昭和56年(1981)の戦後2度めの再建。
焼け残った前不動堂や勢至堂(せいしどう)は江戸中期の仏堂建築として貴重である。

○比翼塚(ひよくづか)
瀧泉寺門前にある。安楽寺(西五反田5-6-8)の連理塚とともに、平井(白井)権八と遊女小紫を供養するもの。小紫が、瀧泉寺の門前にあった東昌寺(とうしょうじ)の権八の墓の前で自害したとされることから、東昌寺に建てられたが、寺の廃寺によって何度か移転し、現在の塚は、昭和37年(1962)に建てられた。

○江戸の五色不動(ごしきふどう)
江戸時代、3代将軍徳川家光は、江戸の町の護りのため、目白・目黒・目赤・目青・目黄の五不動を江戸の5ヶ所に安置したという。不動信仰は、江戸時代中期以降に盛んになり、五不動も参拝客で賑わった。
 目黒以外の4ヶ所は、次のとおり。
目白:もと駒井町(こまいちょう)(現文京区関口2丁目)の新長谷寺にあったが、戦災で焼失し、現在は豊島区高田2丁目の金乗院(きんじょういん)に祀られている。
 目赤:文京区本駒込1丁目の南谷寺(なんこくじ)に祀られている。不動堂は戦災により焼失したが、不動尊は難を免れ、現在は同寺の本堂に安置されている。
目青:麻布谷町(現港区)の観行寺(かんぎょうじ)の本尊として祀られていたが、同寺は明治15年(1882)に青山の教学院(教学院)に併合された。教学院はのち、世田谷区太子堂2丁目に移転、目青不動もその境内の閻魔堂に祀られている。
目黄:諸説あるが、台東区三ノ輪2丁目の永久寺(えいきゅうじ)とする説が有力。同寺本堂手前左側に安置されている。
『しながわ史跡めぐり』より

○独鈷(どっこ)の滝
正面階段の左手にある。独鈷とは、人の煩悩を打ち砕くという仏具で、慈覚大師が瀧泉寺を建てるとき、その敷地を示すために独鈷を投げたところ、たちまち泉が湧き、滝になったという。今も2筋の清水が竜口から注いでいる

○青木昆陽(あおきこんよう)の墓
国指定文化財。裏手の墓地のなかにある。青木昆陽(1698〜1769)は江戸中期の蘭学者。サツマイモが荒れた土地でも栽培でき、天候不順にも強いことに着目し、8代将軍徳川吉宗に対し、飢饉に備えてその栽培を促進するよう進言した。「甘薯(サツマイモのこと)先生」と呼ばれた。
 昆陽の命日は10月12日だが、10月28日の目黒不動の縁日にあわせて、境内で『甘薯祭り』が行われる。

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