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安養院(あんよういん)

・資源No:881
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:大崎地区
・住所:西五反田4-12-4
・最寄駅:不動前駅

 ■資源プロフィール

(山号)牛頭山千手院
天台宗
平安時代に創建されたと伝えられる。
一時衰退していいたが、寛永元年(1624)に木食唱獄(もくじきしょうがく)によって再興された。
唱獄は養玉院如来寺の五智如来(大井大仏)を造った木食但唱の弟子で彫刻家でもあった。
再興の際、唱獄は自ら阿弥陀如来像や釈迦涅槃像を造り、この涅槃像を本尊としたため、この寺は別名「寝釈迦寺」(ねしゃかじ)とも呼ばれた。
 しかしこれらの像は安永9年(1780)に、本堂とともに火災で焼失、さらに文化14年(1817)に再造された像も戦災で焼けたため、現在の像は戦後の作である。
 本堂もまた戦災で焼失し、戦後再興されたものだが、瓦葺きの山門は焼け残り、一部に戦災の焼け焦げを残しながらも江戸時代の姿を止めている。この門に掲げられた「安養院」の額は宝永2年(1705)のもので書家・画家として知られた中国からの帰化僧獨湛の書。
 山門の脇の宝形造の観音堂は、栃木市の定願寺から移されたもので、江戸時代初期の建築と伝えられる。

<品川区指定文化財・有形民俗第11号>
○石造念仏供養塔・宝篋印塔(ほうきょういんとう)
観音堂横に2基並んでいる。正面に「南無阿弥陀仏」と刻んである高さ3.64メートルの塔が念仏供養塔で、延宝3年(1675)に庚申講中によって建てられたと記されている。となりの宝篋印塔は、貞享4年(1687)のもので高さ3.5メートル。

○浅野綱晟夫人の墓(あさのつなあきらふじんのはか)
安芸国(現広島県)の領主浅野家の第3代当主の夫人、称専院(しょうせんいん)の墓。称専院は綱晟が寛永9年(1632)に死去したあと、安養院を再興した木食唱嶽を頼って出家し、延宝7年(1679)に亡くなるまでこの寺に住んだ。
 墓地の傍らに称専院の墓である高さ2.62メートルの五輪塔を中心に、7体の観音像が取り囲んでいる。観音像は、称専院とともにこの寺に住んだ侍女たちの墓という。

○和蘭矮狗玄雋の墓(わらんげんしゅんのはか)
山門を入った左手にある。「和蘭矮狗玄雋之霊」と刻まれた江戸時代の犬の墓である。南山老公(氏名不詳)と呼ばれる人に可愛がられていたオランダ渡りのチンで、文政11年(1828)に死んでここに葬られた。

○安養院美術館
展示物は、北インド・チベット仏教美術品を中心に、仏教文化、仏教美術の神髄を探り、チベット文化の独自性を決定している、その代表的な造成芸術「曼荼羅・タンカ・仏像類・経典類・工芸美術品」を紹介しています。
 特色ある「北インド・チベット仏教美術展」が多くの皆様の目にふれ、貴重な作品を通じて、仏教全体の理解と親しみを深める一助となることを願っています。http://www7.plala.or.jp/anyoin/bizyutukan.html

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