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大井・原の水神池

・資源No:811
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:大井地区
・住所:西大井3-1-5
・最寄駅:西大井駅

 ■資源プロフィール

<品川区指定文化財・史跡第20号>
武蔵野台地末端部のこの遊水池は、もと原・出石などの農家が出荷する野菜を洗った洗い場で、傍らの水神社は、水の恵みに感謝した農民が祀ったもの。かつて水神が眼の神様とされ、池の水を持ち帰り、治った者は池に鯉を放ったという。

■しながわ昔話 「大井・原の水神池」
江戸時代の品川というと、東海道の宿場町や江戸内湾(東京湾)の漁業のことが思い浮かびますが、当時、品川のほとんどの地域では農業が盛んでした。
 けれども、水に恵まれなかったため、わき水のあるところは、水神様が祀られ、大切にされていました。西大井三丁目にある「大井・原の水神池」にも水神の祠があります。明治12年(1879)に再建されたもので、その横には水神池の碑と並んで鯉塚も建っていて、こんな話が伝えられています。

 昔の大井村あたりは、立会川沿いと南大井を除いて、海に面した丘陵が続いていました。土地は、田んぼより畑に向いていたので、村人たちは、丘と海の間のひらけた土地をせっせと耕しては、葉っぱやニンジン、イモ、ダイコンなどの野菜を作り、江戸や宿場に売って暮していました。出荷前の野菜は、池の水を利用して洗っていました。村人たちは池の近くに水神様の祠を建てて、大井・原の水神池として大切に守っていました。
 あるとき、村人のひとりが、目の病にかかり困っていました。「これは大変だ。原の水神池の清らかな水で洗ってみてはどうだ」」と言われた村人が水をくんで家に持ち帰り、毎日目をあらったところ、すっかりよくなりました。「いや、うれしい。すっかり目の病がよくなった。水神様にお礼をしたいものだ。そうだ、水神様にコイを放してはどうだろう」。
 その村人が水神池にコイを放してからは、ほかの目の病にかかった人もやって来て水を汲んで洗い、治るとコイを放すようになりました。

広報しながわ 平成19年(2007)10月1日号掲載

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