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禿坂(かむろ坂)

・資源No:717
・分類:観る(見処・風景)
・地域:大崎地区
・住所:西五反田4
・最寄駅:不動前駅
・備考:しながわ百景No.046

 ■資源プロフィール

・白井権八と相思相愛の小紫の話は、歌舞伎「浮世柄比翼稲妻」にもなっている

・春は桜並木が美しい(桜の名所)

・西五反田四丁目と小山台一丁目の境を第四日野小学校に下る坂で、その坂名については説がある。かって朝日新聞にのった記事では、禿坂は河童(かっぱ)坂の意味であるが、この坂は、延宝7年白井権八が品川で処刑されると、そのあとを慕って自害した遊女小紫の侍女(かむろ)も家出し、桐ケ谷の二つ池に身を投じて死んだ。それを土地の人があわれみ、近くの岡に葬った。それによりこの一帯の丘陵をかむろ山と呼びつたえた。また横関英一氏著「江戸の坂、東京の坂」によると禿坂は都内に7つもあることをあげ、その名は江戸庶民の趣味、流行によるものとしている。
(品川の橋と坂より)

○しながわ昔話(かむろ坂)

 今から三百年ほど昔、人々に乱暴ばかり働いている平井権八という武士がいました。権八はついに役人に捕まり、延宝七年(1679)に鈴ヶ森の刑場で処刑され、東昌寺(目黒区下目黒三丁目付近にあった)に葬られました。
 そんな権八には、おいらんの小紫という恋人がいました。小紫は働いている店の客から「権八が処刑された!」と聞き、いてもたってもいられなくなって店を抜け出し、寺へと向かいました。権八の墓の前に着くと、小紫は「あなたとは夫婦になる約束でしたね……」と言って、命を絶ってしまったのです。
 いくら待っても帰ってこない小紫を心配した店の主人は、小紫が一番かわいがっていた下働きの「かむろ」と呼ばれていた少女を東昌寺まで迎えに行かせました。遠い道をやっとの思いで寺までたどり着いたかむろは、寺の人に聞きました。「小紫さんはどこですか?」「小紫はすでにこの世の人ではなくなってしまったのだよ…」。途方に暮れたかむろは、なすすべもなく、もと来た道を泣きながら帰っていきました。
 帰る途中、突然やぶの中から怖そうな男たちがかむろに襲いかかってきました。近くには助けを呼べる人や家もありません。逃げ切れずついに力尽きたかむろは目の前の池に飛び込み、命を落としてしまいました。
 この悲しい話を聞いた村人はかむろのことをかわいそうに思い、なきがらを丘に葬ることにしました。いつしか、この場所は「かむろ塚」、のちに「かむろ山」と呼ばれるようになりました。

 ほかにも、かわいがってくれた小紫の死を悲しみ、かむろが自ら池に飛び込んだという説もあります。

時代の発展とともにかむろ山は削られ池もなくなり、現在そのおもかげは坂道の名にしか残されていません。周辺には権八・小紫ゆかりの二つの塚、連理塚(安楽寺/西五反田五丁目)と比翼塚(瀧泉寺門前/目黒区下目黒三町目)があります。また、平井権八は歌舞伎や浄瑠璃の主人公「白井権八」としても登場しています。

広報しながわ 平成20年(2008)7月1日 第1676号 掲載

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