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朝日地蔵堂

・資源No:618
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:荏原地区
・住所:小山・2-7-14
・最寄駅:武蔵小山駅

 ■資源プロフィール

・江戸時代初期の寛文7年(1667)に、戸越村の念仏講員16名によって造立。
・安産、厄除け、子育てなどにご利益がある。

・九品仏の浄真寺の開山珂碩 (かせき)上人が、仏道修業のため毎日夜明け前に浄真寺を 出て芝の増上寺まで通っていたころ、ちょうどこの地蔵堂のあたりで朝日が 昇るため、いつしか朝日地蔵と呼ぶようになったという。

○寛政元年銘石造道標<品川区指定文化財・史跡第23号>
・「右目黒不動尊、左碑文谷仁王尊道」と刻まれている。
(碑文谷道と目黒道の交差点に建てられたが、道路の拡張で反対側に移されたため、指す方向が逆になっている。)
・江戸時代後期の寛政元年(1789)に建てられたもの。
・目黒不動や碑文谷仁王への信仰が盛んであったことをうかがわせる。
・この場所は地蔵の辻(現在の後地交差点)と呼ばれ交通の要所であった。

○しながわ昔話(すず団子)
小山二丁目の朝日地蔵堂の前に、その昔「すず団子」という名の茶屋がありました。この茶屋は、目黒不動尊(瀧泉寺)と碑文谷仁王尊(円融寺)への分かれ道のところ、「地蔵の辻」と呼ばれる交差点近くにあったので江戸時代には多くの参詣客が立ち寄り、賑わっていました。当時の茶屋の面影を残す資料として、店を営んでいた林家に「すずだんご」と書かれた徳利と盃が伝わっており、店名の由来を伝える昔ばなしも残っています。

ある殿様が狩りに出たときのことです。おなかがすいていたので、地蔵の辻にある茶屋に立ち寄り、店先の縁台で団子を食べることにしました。この茶屋では、団子は串にささず、くずもちのようにお皿にもっていました。
 おいしそうに団子をほおばった殿様、ふと見ると、団子に黒い「くもの巣」のようなすす(煤)がついているのに気がつきました。「こりゃなんじゃ?」。
 殿様のことばを聞いて、周りにいた家来たちは真っ青になりました。「これはえらいことになったぞ」と困りはて、返事もできずにいたところ、殿様が気をきかせてこういいました。「これはすすではない。すず団子じゃ。これからは鈴団子(寿々団子)と命名せよ」。
 昔は、火をたくのに家の中で藁などを燃やしたので、天井にすすがたくさんついていたのでした。
 こうして「すず団子」は茶屋の名物となり、店の屋号になるほど評判を呼んだということです。

広報しながわ 平成19年(2007)6月1日号掲載

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