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海晏寺

・資源No:436
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:品川地区
・住所:南品川5-16-22
・最寄駅:青物横丁駅
・電話:03-3471-0629

 ■資源プロフィール

曹洞宗
・開山:鎌倉時代の建長3年(1251)に北条時頼が、鎌倉の建長寺の
 蘭渓道隆を迎えて開いたと伝えられる。
 その後、時頼の息子の時宗の時代に新たな堂が造られ、
 阿弥陀仏が安置されたといわれる。

・創建当時は臨済宗の寺であったが、戦乱による焼失ののち、
 天正18年(1590)に曹洞宗の寺として再建された。

・江戸時代には、紅葉の名所となり、浮世絵にも多く描かれた。

○銅製雲版(上総般若寺公用)<東京都有形文化財・工芸品> 

☆墓地に眠る人々
○岩倉具視(1825〜83)<東京都指定文化財・旧跡>
幕末・維新期の公卿・政治家。公武合体論を唱え、大久保利通らとともに王政復古を実現させた。維新後は廃藩置県、条約改正の交渉などに活躍、富国強兵政策に努めた。
*一般の参拝は認められていない。

○白井鳥酔(1701〜69)<東京都指定文化財・旧跡>
江戸時代中期の俳人。天明俳諧の中興の先駆をなした蕉門の巨匠と呼ばれた。
墓碑に「松風の骨になつたる寒さかな」の句を記す。

○加舎(春秋庵)白雄(1738〜91)<東京都指定文化財・旧跡>
鳥酔の門人。墓碑に「たち出て芙蓉のしばむ日に逢へり」の句が記
されている。

○松平慶永(春嶽)墓(1828〜1890)<品川区指定文化財・史跡第9号>
 慶永は福井藩16代の藩主で、幕末の動乱期に開国論を唱え、幕府と朝廷の間を取り持ち、維新のために力を尽くした。
墓は松平墓域の右側の方にあり、神式の土まんじゅう型で、角柱型の墓碑が立っている。 

○由利公正の墓(1829〜1909)<品川区指定文化財・史跡第10号>
公正は福井藩士で、安政元年(1854)から品川台場の築造に従事、維新後は新政府の財政確立に勇めた。明治4年(1871)に東京府知事となり、首都の整備に力を尽くした。維新後は新政府の財政確立に努めた。

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