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妙蓮寺・高木正年の墓

・資源No:432
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:品川地区
・住所:南品川1-1-1
・最寄駅:新馬場駅
・電話:03-3471-2460
・備考:しながわ百景No.027

 ■資源プロフィール

単立
・室町時代の長享元年(1487)の開創。
・本堂は昭和35年(1960)建設のコンクリート造りだが、内部に
 寛政年間(1789〜1801)に建てられた旧本堂が組み込まれている。

○妙蓮寺典籍<品川区指定文化財・典籍第2号>
顕本法華宗の教義・門流・先師関係の典籍を中心とした諸記録17点。

○丸橋忠弥の首塚
・丸橋忠弥(?〜1651)は江戸時代初期の浪人。
・慶安4年(1651)、由井正雪らとともに幕府転覆を図ったが失敗し、
 鈴ケ森で処刑された。
 その翌朝、妙蓮寺住職の枕元に忠弥の首が転がっていたので、
 これを墓地の一角に埋葬したと伝えられる。
 忠弥の墓は豊島区高田の金乗院(目白不動)にある。

☆墓地に眠る人々
高木正年(1855〜1934)しながわ百景No.027(高木正年の墓)
・品川出身の政治家。
・25歳で荏原郡選出の東京府議会議員となる。
・明治23年(1890)の国会開設時に国会議員に転じ、以来、13回当選した。
・明治30年(1897)に失明したが、以後も財界通として活躍した。
 自らの全盲の危機もかえりみず、品川の漁民や品川宿で働く女性たち
 のために身を粉にして働いた、品川が誇る伝説の政治家。

○薄田研二(1898〜1972)
・昭和期の新劇俳優。本名、高山徳右衛門。
・昭和4年(1929)新築地劇団の結成に参加。
・昭和34年(1959)には、東京芸術座を主宰。
・映画の時代劇でも、三枚目の悪役として独特のマスクで活躍した。
・台本の形をしたユニークな墓石。

○薄雲太夫(生没年?)
・江戸時代前期の新吉原信濃屋の抱えの遊女で、才色兼備で義侠心に富む。
・某大身の武家が三千両で身請けしたが、肌を許さず、十指を一日一本ずつ切られる拷問にも屈せずに没したという。

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