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来福寺(らいふくじ)

・資源No:43
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:大井地区
・住所:東大井3-13-1
・最寄駅:立会川駅
・備考:しながわ百景No.054

 ■資源プロフィール

来福寺 真言宗 (山号)海賞山地蔵院
らいふくじ
東大井3-13-1
来福寺境内はしながわ百景

創建は平安時代の中期の正暦元年(990)で、かつては鎌倉古道の近くにあり、広大な寺領を有していた。昭和20年(1945)の戦災で多くの建物を失ったが、戦後、本堂、客殿が再建された。本尊は大井一丁目の経塚(現庚申堂、大井1-44-5)から、土中の読経を聞いて掘り起されたと伝えられる延命地蔵で、別名きょうよみ経読地蔵とも呼ばれる。
山門を入った左手に、貞年2(1685)に造立された庚申塔があり、本堂の左右には松と桜が植えられている。松は、この寺が鎌倉時代の武将梶原景季に縁があると伝えられることから「梶原の松」と呼ばれる。また、桜は、江戸時代に桜の名所であったことを偲んで植えられ、本尊にちなんで「延命桜」と名づけられた。

○聖天堂
山門を入った右側の小高い丘の上にあり、歓喜天(秘仏)が祀られている。山門とともに江戸時代の終わりごろに建てられたという古いもの。入口に朱塗りの山王鳥居、その右側に、文化元年(1804)に品川宿の大出氏が寄進した水盤がある。水盤の表には、歓喜天のシンボルである二股大根の絵が刻まれている。

雪中庵蓼太句碑(せっちゅうあんりょうたのひ)
本堂に向かって左手の自然石の碑。大島(本名吉川)蓼太の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という句碑が刻まれている。
蓼太は江戸時代中期の俳人で、信州伊那の生まれ。
元禄7年(1694)芭蕉が亡くなると、弟子たちは様々な流派に分裂し、次第に退廃していったが、芭蕉50回忌をすぎた天明期(1781〜89)に、俳諧を再び芭蕉の昔にかえそうという働きが盛んになる。この蕉風復活の「天明俳壇」の中心的役割を果たした俳人のひとりが大島蓼太で、3000人余りの門人を擁し、200冊以上の句集を編むなど全国的に名声を博した。
この碑は、天明7年(1787)の蓼太の死後間もなく、弟子たちが建てたものである。

林浄因の碑(りんじょういんのひ)
蓼太の句碑の隣にある。林浄因(?〜1359)は、室町時代初期に中国から日本に饅頭の製造法をもたらした人で、菓子の塩瀬家の元祖。碑は大正14年(1925)東京丸の内の塩瀬総本家らが発起人になって建立したもの。

阿波藍商人の墓(あわあいしょうにんのはか)
墓地の中程、桜の木のしたに3段に墓石を積み重ね、上に地蔵像を置いている。寛永年間(1624〜44)から明治までの約200年間に、来福寺に葬られた阿波国(現徳島県)の藍商人の墓66基を、明治2年(1927)に整理して合葬したもの。江戸時代を通じて、品川湊を中心に阿波の藍商人が活躍していたことがわかる。

○地名の由来 元芝(もとしば)
古くは大井郷芝村のこと。
来福寺の上台を上芝、下台を下芝とよんだ。これらを総称して元芝と呼ぶようになった。
(品川図鑑2 地名の由来より)

○しながわ昔話(来福寺の経読地蔵)
 大井三ツ又から大井町駅に向かって進んでいくと、通りの左側にトタンで囲った小さな庚申堂(大井一町目)があります。これは、少し離れた大井六丁目にある来福寺のお堂です。鎌倉時代までさかのぼると、ここは「経塚」とも呼ばれていたそうです。源頼朝が、これまでに失った多くの兵士たちの霊をなぐさめるためにお経を書き写し、おさめた場所であることから、そのような名前がついたと伝えられています。

 経塚と呼ばれるようになってから数百年がたった室町時代、文亀元年(1501)のできごとです。このあたりを梅巌というお坊さんが通りかかると、近くからお経を読む声が聞こえてきました。「はて、人かげも見えないのに、いったいどうしたことだろう?」梅巌が声のするほうへ近づいてみると、聞こえてくるのは経塚の土の中からでした。おどろいた梅巌はていねいに土をほりおこしていきました。すると、一体の仏像があらわれ、お経も聞こえなくなりました。
 土をはらって手にとってみたところ、それはたいへんりっぱなお地蔵様でした。「世の中にはこのように不思議なこともあるものだ。みごとな仏像がどうして土の中にうめられていたのだろう……?」。この像についてもっと知りたくなった梅巌は、いろいろと調べてみることにしました。そして、これは長い間、ゆくえがわからなくなっていた来福寺のご本尊「延命地蔵」だということがわかりました。

 弘法大師が作ったとも伝えられている大切なご本尊が見つかったと、来福寺のお坊さんもとてもよろこび、梅巌に何度も「ありがとうございます」と言って、再び寺に置くことにしました。このことがあってからは、この像を「経読地蔵」とも呼ぶようになったということです。

広報しながわ 平成20年(2008)8月1日 第1679号 掲載

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