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桜の名所の御殿山

・資源No:140
・分類:観る(桜の名所)
・地域:品川地区
・住所:北品川4-8
・最寄駅:北品川駅
・備考:しながわ百景No.020

 ■資源プロフィール

・地名の由来は、室町時代に太田道灌の館あったとする説と、江戸時代に将軍家の別邸、品川御殿があったとする説とがある。
・江戸時代からの桜と紅葉の名所。多くの浮世絵にも描かれている。
・今も屋敷町の落ち着いたたたずまいを見せる。
・複合ビル、御殿山ヒルズは、日本の銀行制度を確立した実業家原六郎の旧邸。
・現在のホテルラフォーレ東京の庭園は、自由に散策することができる。
・現在の桜の見所:御殿山の坂周辺。かつての原邸の御殿山ヒルズホテルラフォーレ東京の庭園。翡翠原石館。ミャンマー大使館入り口付近。

御殿山の頂上
ホテルラフォーレ東京に隣接する遊歩道に看板が立っている。
近くには高さが3メートルはあろうかという大きな石灯籠もある。

【御殿山公開広場「地名の由来」標識より】
御殿山は、長禄年間に太田道灌の館があったと伝えられています。また、江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。
また、将軍家光、小堀遠州・沢庵和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文期頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、享保6年には狼籍を禁ずる制札が立てられるほど花見客で賑わったそうですが、嘉永6年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線施設により一部が堀崩され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久2年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。
また、縄文時代前期の貝塚として知られる「御殿山貝塚」では、最近の調査で御殿山台地緑辺より弥生時代後期と古文時代前期の住居跡が発掘されています。

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