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品川の山めぐり

・資源No:1000
・分類:遊ぶ(見処・風景)
・地域:その他地区
・住所:東大井2-23-1
・最寄駅:立会川駅
・備考:写真は御殿山

 ■資源プロフィール

品川の山々は、時代と共に変形や消滅した物もあるが、今も昔も交通と文化の歴史を訪ねるのも、観光まち歩きとして興味ある。
(2011年9月 Vol.186 散歩の達人 品川・大崎・大井町特集より)

■散歩コース

立会川駅

@土佐山 
・大福生寺 品川区東大井3丁目21番25号
◇交  通  京浜急行/立会川駅下車 徒歩5分       
◇開  創  明治15年日本橋蛎殻町 明治25年5月現在地に移転
◇本  尊  大聖歓喜天
松平土佐守の下屋敷があったため俗に土佐山と呼ばれていた。


Aくぬぎ山 
・「くらやみ坂」「仙台坂」と呼ばれている。


B大山 品川区北品川4-11-8
・東海寺の墓所
京浜東北線、東海道本線の目黒道ガードをくぐり、硝子工業発祥の地の記念碑を左に見て、線路際の坂を上る。
山手線、環状6号線(山手通り)に囲まれた三角地帯。
・沢庵和尚の碑:亀の台座に載せられた「開山沢庵和尚塔」で、沢庵の事蹟が漢文で記されている。
沢庵没後108年の宝暦3年(1753)に建てられたもの。
・利休居士追遠塔:千利休200回忌を7年後にひかえた天明3年(1783)の建立。
・江戸、及び近代日本を知る上で欠かせない史跡。


C権現山 品川区北品川3-9-5
・江戸時代より桜の名所として有名。
御殿山の一部であったが、鉄道敷設の再分断された。


D品川富士
・品川神社 品川区北品川3-7-15
北品川宿の鎮守。
6月の品川神社例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ53段の階段を神輿が上り下りする。
境内には宝物殿や神楽殿、板垣退助の墓や富士塚(擬似富士登山が出来る)がある。


E御殿山 品川区北品川4-8 
・この一帯は品川宿西の高台で御殿山と呼ばれていた。
・江戸時代には将軍の別邸・品川御殿や、諸大名が参勤交代の時に使う館が建てられていた。
・吉野桜が植えられ、花見の名所としても有名で浮世絵にも多く描かれている。


F八ッ山 品川区北品川4-25
・「八ッ山」の地名は、この付近に海岸に突き出た洲が八つあったことに由来する。


G島津山  品川区東五反田3-16-21
・清泉女子大学
清泉女子大学の校内は、江戸時代には仙台藩伊達家の下屋敷だったが、明治になって旧薩摩藩主の島津侯爵家の屋敷になったため、島津山の名で呼ばれるようになった。

城南五山を訪ねて@ 島津山
 今月から城南五山を連載する。第1回は島津山。五反田駅から八ツ山通りを歩くと、飛騨レイテにこんもりとした山が見える。品川区東五反田3の16、頂上には清泉女子大学がある。
島津家から清泉女子大へ
 江戸時代は仙台藩主・伊達家の屋敷だったが、明治維新後に旧鹿児島藩主・島津家の屋敷となって島津山と呼ばれた。島津邸では鹿児島出身の政財界人の集まる会が催されていた。
 敷地は3万坪あったが、昭和初期の金融恐慌のおり、中央の8千坪を残して箱根土地鰍ノ売却された。残る邸宅部分も日本銀行に移った。昭和37年、清泉女子大学がこの地へ移転し、旧島津公爵邸は同大の本館となった。
コンドルの設計
 同大本館は大正初期の洋風建築物として貴重だ。ニコライ堂や鹿鳴館を手がけたイギリスの建築家・コンドルが設計した。島津家の家紋(丸に十の字)入りステンドグラスや大理石の壁など、内装は当時のまま残されている。庭に面して円弧状に張り出したバルコニーの列柱は、1階がトスカナ式、2階がイオニア式だ。なお本館は現在も授業に使っている。
 今年は旧島津邸の竣工100周年にあたり、ライトアップやコンサートが行われた。また同大と大崎高校による島津邸のペーパージオラマも完成した。
 庭の中央には樹齢約200年のフウの木がある。高さは10mにもなり、都内では珍しい木だ。
◎同大では、旧島津邸の見学ツアーを実施している。10〜12月のツアーの応募期間は8月8日まで。詳しくは同大HPにて。


H居木富士
・居木神社 品川区大崎3-8-20
大崎駅西口の高台にある大崎の鎮守様


JR大崎駅

○地名の由来
品川(しながわ)
目黒川の河口を中心に発達した集落につけられた名前で、元禄元年(1184)の田代文庫に初めて登場する。
地名については目黒川の古名説。
風光明媚な品良き土地である高輪に対して品ヶ輪と名付けた説。鎧に用いる品革を染出したところからという説。領主の品川氏から起こった説などがある。
(品川図鑑2 地名の由来より)

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