home 品川宿百科 戻る

御殿山の坂(桜並木)

・資源No:842
・分類:観る(桜の名所)
・地域:品川地区
・住所:北品川4-9-12
・最寄駅:大崎駅

 ■資源プロフィール

・御殿山地域で現在ここの桜並木が本数も多く一番見事。
・大崎駅から山手通りを品川方面に進み、居木橋の交差点左の坂道。また、近隣に公開空地がありの公園もあり、ゆっくりと桜を眺める事ができる。

○御殿山
・この一帯は品川宿西の高台で御殿山と呼ばれていた。
・江戸時代には将軍の別邸・品川御殿や、諸大名が参勤交代の時に使う館が建てられていた。
・吉野桜が植えられ、花見の名所としても有名で浮世絵にも多く描かれている。
・御殿山の面積 11,550坪
・桜 600本(文政年間)
・御殿山一帯は土取り場としても利用されていた。
遺されている記録によると宝暦9年(1759)江戸城二の丸補修のため、天保10年(1839年)江戸城補修のため、嘉永6年(1853年)江戸防衛のため台場築造が行われ、山の東側から大量の土砂が掘り取られている。


御殿山の坂 道標から
・このあたりは、江戸時代に将軍が鷹狩りの折に休んだ品川御殿があった場所で、御殿山と呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。もとは急な坂であったが、何回かの修理でゆるやかになった。

○しながわ昔話(御殿山の桜)
北品川四・五丁目には、昔、小高い丘がありました。江戸時代に桜で有名になり、春になると多くの花見客がやってきたところです。ここには「品川御殿」があったことから、「御殿山」という名前がついたともいわれています。御殿山は幕末に品川台場の土とり場としてくずされ、また、明治時代には鉄道の開通で切り通しとなったことから昔のようなおもかげはありませんが、御殿山通りの桜並木に、当時の雰囲気を感じとることができます。

 この地でいまのように人々が気軽に楽しめるものとしてお花見が広まったのは、享保年間(1716〜1735年)、徳川吉宗が八代将軍のころです。
 「桜がうつくしい吉野(奈良県)のように、江戸にもっと桜をうえるのじゃ」「上様、それはよいお考えでございます。江戸にもきっと、うつくしい桜の園ができることでしょう」「桜の下での宴が、いまから楽しみだのう」
 吉宗は「みんなを楽しい気分にさせるお花見は、とてもよいことじゃ」といって、いままであった桜に加え、さらに多くの桜をうえ、庶民でも花見を自由に楽しめるようにしました。また、秋に紅葉するハゼの木もうえられ、桜とともに紅葉までもがうつくしい御殿山として知れわたるようになりました。
 桜の季節になると、品川はもちろん、はなれたところに住む人々も御殿山のきれいな桜を見ようとやってきます。よさそうな場所が見つかると、腰をおろしてひと息つき、御殿山のけしきをながめました。「浜辺の方まで見渡せる……すばらしいなぁ」「品川沖にうかぶ舟の白い帆がなんともいえないねぇ。未申(南西)の方角に見えるのは、富士山だね」。桜だけでなく、周りの風景もうつくしいとあちこちで評判になり、たくさんの人々が集まって、この御殿山は江戸の名所となりました。

【品川御殿】
江戸時代に将軍がたか狩りに出たときの休息や、茶会などの将軍家の行事に利用されていましたが、元禄十五年(1702)の火事で焼失し、再建されることはありませんでした。

広報しながわ 平成20年(2008) 4月1日 第1665号 掲載

○地名の由来
北品川の日肩にある台地で、太田道灌の館跡との言い伝えがあり、また、徳川将軍の御殿があったことからその名がついたといわれる。
江戸時代には桜の名所として江戸庶民の遊山で賑わった
(品川図鑑2 地名の由来より)

戻る

Copyright © 2012 Haguregumo.