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荏原神社の天王祭(かっぱ祭り)

・資源No:417
・分類:遊ぶ(祭り・イベント)
・地域:品川地区
・住所:北品川2-30-28
・最寄駅:新馬場駅
・電話:03-3471-3457
・備考:しながわ百景No.008

 ■資源プロフィール

○荏原神社例大祭(6月上旬)(荏原神社)

・祭礼「南の天王祭」と呼ばれる。
・祭礼日は、本来は6月7日だったが、現在では5月の最週の週末に行われることが多い。
・この例大祭は江戸時代から続いている。

○御神面神輿海中渡御(ごしんめんみこしかいちゅうとぎょ)
・荏原神社例大祭最終日の御神事
・海(天王洲)から拾い上げられたと伝えられる素戔鳴尊(すさのうのみこと)の神面を、神輿につけて海上を渡し、豊漁と豊作を祈る。
・かつては宿内の海岸から神輿を海に担ぎ入れたが、現在ほ埋め立てが進み、海岸が遠くなったため、船に神輿を乗せ、港区のお台場海浜公園周辺で行われる。
 江戸の頃から、若衆が神輿を荒々しく担ぐ際、元結が水に濡れて切れ、さんばら髪になった様を観て、誰言うとなく「かっぱ祭り」と呼ばれるようになったという。
・神輿の渡御にともなって演奏される品川拍子は、大拍子と呼ばれる太鼓と篠笛で演奏される。
・祭りに先立って品川宿の使者が、番匠面(現埼玉県三郷市)に行き、田植え前の早苗を頂く稲穂取りの行事が行われる。この稲穂は祭りの際に神輿の鳳凰にくわえさせる。
・祭礼最終日朝 寄木神社神輿に御神面をつけ荏原神社下流 洲崎橋際より船に乗せ、目黒川河口からお台場海浜公園まで運ぶ。
担ぎ手は、各船宿で釣り舟に乗りこみ、目黒川河口で神社神輿の船を待ち受けこれに続き海浜公園に着くや我先に海に飛び込み神輿を担ぐ。

○しながわ昔話(かっぱ祭り)
 昔は六月六・七・八日の三日間で荏原神社(北品川二丁目)の天王祭が行われていました。最後の日はお神輿が海に入り、かっぱ祭りとも呼ばれました。荏原神社から海晏寺前(南品川三丁目)までかついでいったお神輿は、海に入り猟師町の洲崎(現在の東品川一丁目)の海岸で陸にあがりました。大正時代以降、品川の海岸線は埋め立てが進み、お神輿が海に入るところがかわっていきました。
 この海を渡るお神輿の屋根につけられている御神面には、こんな話が伝わっています。

 江戸時代前半、番匠面(現在の埼玉県三郷市)の村人が舟で洲崎付近を通っていると、波の上にゆらゆら漂う光るものを見つけました。「おや、なんだろう?」。不思議に思いながら、急いで舟で近づき、海の中から光るものを拾い上げてみると、それは、牛頭天王(素戔鳴尊(すさのうのみこと))によく似た金色のお面でした。村人は「これはなんともきれいな金ぴかなお面だ、ありがたいものかもしれない」といって、猟師町の人たちと相談して貴布祢社(現在の荏原神社)に納めました。
 ある夜、貴布祢社の神主の夢に神様があらわれて、「あの金色の面は、海から拾われたものだから、一年に一度は海中を渡らせるように」と告げると、消えました。目が覚めた神主は、「神のお告げにちがいない」と思い、品川の漁師たちを集めて、お神輿の屋根にお面をつけて、威勢のいいお囃子にあわせて「天王様だ!お神輿だ!ワッショイ!ワッショイ!もーめ!もーめ!」と海の中をかつぎました。するとどうでしょう。その年は、水の事故もほとんどなく、海苔をはじめ、魚や貝が大漁だったのです。
 このことがあってから、毎年、豊漁と豊作を祈って、お神輿が海中を渡るようになりました。お面の牛頭天王(ごずてんのう)は水の神様で、カッパが牛頭天王(ごずてんのう)のお使いだったことや、水からあがったかつぎ手の姿がカッパのように見えたことなどから、いつのころからかこのお祭りは「かっぱ祭り」と呼ばれるようになりました。そして、お面が拾われたところは「天王洲」と名づけられました。

 今でも、お祭りの始まる前には、番匠面に行き稲の若穂をいただいてお神輿の鳳凰にくわえさせるという「稲穂取り」の行事が続いています。


荏原神社ホームページ
http://ebarajinja.org/maturi/

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