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品川宿本陣跡(聖蹟公園)

・資源No:119
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:品川地区
・住所:北品川2-7-21
・最寄駅:新馬場駅
・備考:しながわ百景No.006

 ■資源プロフィール

■東海道品川宿の本陣跡。大名や勅使が休息・宿泊する旅宿を本陣といった。江戸時代前期には「北及び南品川宿」にそれぞれの本陣があったが、中期以降は「北新宿」のみとなった。現在の本陣跡は1771年に定着し、「歩行新宿」(かちしんしゅく)を含む三宿のほぼ中央に位置している。

・明治元年(1868)、明治天皇行幸の際の行在所となり、聖蹟の名が付いた。
・昭和13年に公園として整備。入り口には、土山宿から贈られた街道松がある。
・聖蹟(せいせき)と名がつく場所は都内でも、3カ所と少ない。

品川宿は日本橋を出て初めての宿であり、東海道の親宿として栄えていた。
宿内にはこの外に脇本陣2軒があった。本陣とは勅使・大名・外国使節などが泊る旅館で、明治3年(1870)に宿駅制度が廃止されるまで存続した。
当本陣は明治元年天皇が東幸の際、行在所となったことから、昭和13年聖蹟公園になった。
園内に当時の東京市長の撰文になる「聖蹟公園由来の碑」「聖徳の碑」「御聖蹟の碑」「石井鉄太郎胸像」などの記念碑が建つ。
同43年に建てた「夜明けの像」という新聞配達の少年の像は、石井の提案により昭和24年に建てた二宮尊徳像に替えて設置したものだ。

<品川区指定文化財・史跡第7号>
「東海道品川宿本陣跡」

■歩行新宿(かちしんしゅく)北品川1丁目28番〜30番 2丁目2番の一部

歩行新宿は、品川宿と高輪の間に存在していた茶屋町が享保7年(1722)に宿場としてみとめられたもので、宿場が本来負担する伝馬と歩行人足(かちにんそく)のうち、歩行人足だけを負担したために「歩行新宿」=「歩行人足だけを負担する新しい宿場」という意味で名付けられたものである。
品川宿を構成する一宿であるから、品川歩行新宿と書く場合が多い。
出展先:品川区教育委員会 品川区史料(十三)

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