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利田神社と鯨塚(くじらづか)

・資源No:118
・分類:観る(歴史・史跡)
・地域:品川地区
・住所:東品川1-7-17
・最寄駅:北品川駅
・備考:しながわ百景No.023

 ■資源プロフィール

・嘉永3年(1626江戸時代前期)に沢庵和尚が弁財天(洲崎弁天)を祀ったのが起こり。
・利田はこの辺りを開発したし利田新田を開いた利兵衛の姓。
・江戸名所図会、広重の名所江戸百景にも描かれている。
・境内の鯨塚は、1798年(江戸時代後期)に品川沖に迷い込んだ一頭の大鯨とその事件のてんまつを伝えるもの。
「11代将軍家斉」も上覧したといわれる「寛政の鯨」の骨を埋めた上に、建てられた塚である。
・当時の騒動を伝えた「かわら版」の写しも残っている。
・鯨塚碑の正面に「江戸に鳴る冥加やたかしなつ鯨」俳人谷素外の俳句が刻まれている。
・社務所の山本さんは品川の鯨の語り部として有名。

□鯨碑<品川区指定文化財・歴史資料第4号>

所在 東品川一丁目七番十七号 利田神社
指定 平成十八年十一月二八日(品川区指定有形文化財:歴史資料第四号)

この鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(一七九八)五月一日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は九間一尺(約十六・五メートル)高さ六尺八寸(約二メートル)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには十一代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎになった。
全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)である。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていない地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料である。
平成十九年三月一日  品川区教育委員会

□鯨塚乃由来

此ノ鯨塚ハ寛政拾年(西暦一七九八年)五月壱日折柄ノ暴風雨ニモマレ乍ラ大鯨ガ品川ノ沖ニ這入リ込ミ是ヲ見ツケタ猟師達ハ舟ヲ出シテ遠巻ニシテ天王州ニ追イ込ミ遂ニ捕エタ 此ノ事ガ忽チ江戸ニ広ガリ見物客デ大賑イニ成リ五月三十日ニ芝ノ浜御殿(今ノ浜離宮公園)ノ沖ニ船デ引張ッテ行キ第十一代将軍家斉公ニ御覧ニ入レタ 此ノ鯨ノ背通リ長サ九間一尺高サ六尺八寸有ッタト言ウ 鯨塚ニハ左ノ句ガ刻ンデアル
  江戸に鳴る  冥加やたかし    なつ鯨  
                   当時の俳人 谷 素外

昭和四十四年九月吉日 昭和大改修
東品川一三町会      鯨塚保存会

□鯨碑(原文)

武州荏原郡品川浦   天王洲漁人等建之
鯨鯢ハ魚中ノ王 本邦西南ノ海ニ多ク東北ノ海ニ少ナリ 今年仲夏
甲子ノ日 始子品川天王洲  舟ヲ以テ囲ミ矛ヲ以テ刺 直ニ廳事
ニ訴フ衆人コレヲ聞テ コレヲ見ント 数日群集ス 諺ニ此魚ヲ獲
時ハ七郷富潤フトフ漁長ニ代ッテ祭之詞  玉池一陽井 素外
 江戸に鳴  冥加やたかし  なつ鯨
寛政十年戌午夏 華渓稲貞隆書

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