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品川道

・資源No:1007
・分類:学ぶ(歴史・史跡)
・地域:品川地区
・住所:北品川2-7-21
・最寄駅:新馬場駅

 ■資源プロフィール

各地から来る道が品川道と呼ばれていた。

1.府中と品川を結ぶ品川道
  品川道利用の主な目的

(1)毎年5月5日の府中大國魂神社の大祭に先立って行われる「浜下り(ハマオリ)」の行事にはこの道が利用される康平5年(1062年)源頼義、義家が奥州征伐の際に品川の海から潮水を汲んで来て禊をし、大國魂神社に戦勝を祈願した。
品川の方から言えば府中道になる。

(2)各所から東海道の宿場である品川道へ至る道
@東海道を旅する人や見送りに利用された。
A宿場機能を維持するための助郷からの人馬が通る道として利用された。
B品川宿への生鮮食料品の供給ルートの道であった。
C東海寺の夜番と火消し人足が割当てられており、当番の人々が東海寺に駆けつける道として利用された。

(3)物見遊山や歓楽の場として品川宿へ至る道
@春は桜(御殿山)秋は紅葉(海晏寺)二十六夜待ち(品川、高輪)
A六地蔵めぐり(品川寺)
B江戸南方48所地蔵尊参り(願行寺)

2.品川道の主な道筋
  府中大國魂神社の「浜下り」行事の道筋は調布市つつじヶ丘の茶屋で休息し世田谷区上馬、下馬を通り目黒不動で休憩し貴布禰(現荏原神社)に到着している。
  目黒不動から荏原神社までは目黒川に沿って居木橋村を通る道と平塚橋を経由して南品川に達するみちがあるが、文政10年(1827年)戸越村御屋敷絵図には目黒川沿いに品川道が記されている。
  近世になると多摩川沿いに多摩地方から川を利用して丸太を運んだ、いかだ乗りが帰りに通る道である「いかだ道」があり、この道に「品川道」の名称がある。

3.府中大國魂神社の「くらやみ祭り」と荏原神社
汐盛講
府中大國魂神社の大祭にあたり、大國魂神社、荏原神社の神職と関係者が品川沖で海水を汲み荏原神社の神前に供え大祭の成功を祈願して持ち帰り、禊用の水とする。
柄杓は荏原神社が保管している。
海上禊祓式は源頼義、義家が先勝祈願したのにちなみ平安時代から続く行事であるといわれ、江戸時代の文献では確認出来る。
国府府中と武蔵国の海の玄関である荏原郡品川との深い関係を示す行事で、現在はお台場近辺の海水を汲んでいる。海上禊祓式をする講は品川のものは汐盛講、府中のものは潮盛講と言われている。
4月30日品川海上禊祓潮盛の神事
品川沖にて潮水で身を清め神社に持ち帰るここからくらやみ祭り一連の行事が始まる。
5月5日13時30分、神輿の渡御に先立ちその道筋を祓い清める
    14時30分、各宮の大太鼓が町内より送りこまれ、打ち鳴らす
    15時30分、汐盛講の行列
       〃   汐盛講送り込み
           品川の汐盛講が動座祭に参列するため拝殿に向かう汐盛講が到着すると太鼓は打ちとめとなる
       〃   動座祭
           関係者一同拝殿に上がり神饌をそなえ神幸を奉告する
    18時    神輿渡御

参考文献
図録 むさしの国荏原
    品川の古道           
                         文責 渡辺 瑞枝

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