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山路治郎兵衛

・資源No:727
・分類:学ぶ(しながわ人物)
・地域:荏原地区
・住所:小山・1-5-14
・最寄駅:武蔵小山駅

資源プロフィール
戸越の特産品として知られる筍を、最初に戸越に持ち込んだ江戸時代の大商人。芝の薩摩屋敷から藩外持ち出し禁止の孟宗竹の苗を入手し、戸越の別邸内で栽培を始めた。「孟宗筍栽培記念碑」が小山にある。

孟宗筍栽培記念碑にかかれている
「櫓も楫も 弥陀にまかせて 雪見かな」釈竹翁
(ろもかじも みたにまかせて ゆきみかな)釈竹翁(本名 山路 治郎兵衛)
文化3年翁の1周忌に息子が建てたもの。

治郎兵衛は築地の鉄砲洲で回船問屋を営む大商人であった。
戸越しに別邸を持ち、貧しい戸越しの農民たちの暮らしに心を痛めていた。
そこで考えつたのが孟宗筍の栽培。だが当時孟宗筍は薩摩藩の特産品で持ち出し厳禁。
芝の薩摩藩上屋敷から鉢植え用として持ち出し、別邸の庭に植えた。数年で竹林となり、5月になると筍がザクザク収穫できるようになった。
治郎兵衛は孟宗筍を神田の青物問屋に出荷し、戸越村の農民に栽培を勧めた。
やがて、戸越の孟宗筍は江戸で有名になり小山・中延・碑文谷でも栽培するようになり目黒不動尊前には筍飯を食べさせる茶店も登場した。
治郎兵衛没後、息子は最初に孟宗筍を植えた場所に歯骨を埋め、その上に句碑を建てた。

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